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東京地方裁判所 平成2年(ワ)7254号 判決 1992年7月28日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、別紙一記載のとおりの謝罪広告を同一記載の記載条件のとおり各一回掲載せよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、百貨店等を営む株式会社であり、被告は、「週刊文春」その他の出版物を発行する出版社である。

2  被告は、平成二年五月三一日ころ、「週刊文春」六月七日号を発行、発売したが、同誌の目次(二九頁)に「第二のニセ秘宝事件 三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋」との見出しを掲げ、別紙二のとおり、同誌四〇頁から四四頁にかけて、「スクープ 第二のニセ秘宝事件 三越が六百万円で売る「茶杓」不昧公愛用の真贋 茶道界騒然!」との見出しで、原告が東京都中央区日本橋所在の原告本店で開催した古美術・茶道具の展示即売会「茶美の会」に出品、展示された松平不昧作の茶杓に関する記事を掲載した(以下「本件記事」という。)。その中には、以下のような記述部分がある。

(一) 「同じ茶杓が一昨年にも出品!?」(同誌四〇頁の中見出し)

(二) 「その反省からスタートしたはずの坂倉三越にも古美術贋作疑惑が発覚した」「それにしても老舗に反省がないのはなぜだ!」(同頁中リード部分)

(三) 「古美術・茶道具の展示即売会「茶美の会」に贋作品が出品されている--という疑惑が持ちあがつた」「“三越美術部よ、またか”と思わせるような事実が書かれていた」(同頁第一段)

(四) 「<結論は、この二つの茶杓は別のものであり、どちらかが贋作である>」「よもやと思わせるような贋作疑惑ではある」(同誌四一頁下段)「専門家に取材してみるとほとんどの人人が“疑惑”を認めたのである」「しかも同じ銘のものを同じ人に贈るというのは考えられないから、どちらかが贋だというのも間違いないと思います」(同誌四二頁一段目)「専門家B氏も投書の言う“疑惑”は当然だと言う」(同頁二段目)「松江や福知山の郷土史家たち」からの返答として「同じ銘の茶杓を大名仲間である不昧公から竜橋公に贈るなんて考えられないし、必要もないはず」(同頁四段目)「直系の子孫も「知らない」」(同頁中見出し」「取材すればするほど“疑惑”は深まる」(同誌四三頁上段)「全く同じ文意、文脈の手紙を同じ極月に二度(略)書き送るなどありえない」(同頁二段目)「たしかに“疑惑”だらけの名品ではある」「“三越”の名で商売している割に贋作を調べる誠実さがまるで感じられない」(同頁三段目)

(五) 「三越部長は責任なしと回答」(同誌四三頁中見出し)「同一銘の茶杓が出品されていることなど気がついてもいなかつた。不勉強もいいところである」「しかし返事はもつとひどかつた」(同頁一段目から二段目)「それ以上に疑問があるのは三越の対応だろう(略)誠実さがまるで感じられない」(同頁三段目)「三越美術部の(略)無責任な態度である。誠意があれば、これだけ不審な状況を悟れば、第三者の意見を聞くなり」(同頁四段目)「投書氏のような専門家ならずとも、三越のこの対応には首を傾けざるを得ない」(同頁五段目)「<古美術道具の粋とも(略)一同に揃えました>とまで書いてあることの「責任」がとんとわからないらしい」(同誌四四頁二段目から三段目)

3  さらに、被告は、週刊文春六月七日号の広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞及び日本経済新聞の各紙の平成二年五月三一日付朝刊に掲載したほか、JRや地下鉄等においても同誌の吊り広告を行つたが、これらの広告において、被告は、「スクープ 茶道界騒然!三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋、第二のニセ秘宝事件」と表示して、原告があたかも贋物の茶杓を販売しているかのような表現を一般大衆に向けて行つた(以下、同誌の見出し、本件記事及び右広告を総称して「本件記事等」という。)。

4  原告は、一般顧客を対象とする百貨店を経営しており、販売する商品の選別について常に慎重な検討、審査を行い、また、従業員の顧客に対する対応にも常に細心の注意を払い、それゆえに顧客の信用を得ていたものであるから、その販売する商品が贋物であり、その営業態度が不誠実であることは、原告の信用にとつて致命的な事実である。しかし、被告は、2記載の各見出しにより、原告が贋物の茶杓を出品販売しているかのような表現をし、同(一)及び(二)の記述により、「茶美の会」に出品された茶杓が贋物であり、原告が贋物を何ら反省なく再度販売しているかのような表現をし、同(三)の記述により、原告が贋作品を展示販売しているかのような表現をし、同(四)の記述により、原告が贋物の茶杓を高額で販売しているかのような印象を読者に与え、同(五)の記述により、原告が極めて不誠実な営業を行つており、贋物を売つても何らの責任もないと原告が広言しているかのような表現をした。これらの表現を総合すれば、被告は、本件記事等において、一般大衆に対し、原告本店で開催された「茶美の会」に展示、販売された茶杓が贋物で、原告がこれを極めて高額で販売しており、その営業態度に非があるかのような虚偽の表現を用い、原告の名誉及び信用を著しく毀損した。

よつて、原告は、被告に対し、不法行為責任に基づき、名誉回復のための処分として、別紙一記載のとおりの謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1から3までの事実は認める。同4は争う。

三  抗弁

本件記事等が原告の名誉を毀損するとしても、これらは、公共の関心事について、公益を図る目的で書かれたものであり、その内容が真実であるか、少なくとも被告において真実と信じるに足りる相当の理由を有しているから、被告には、名誉毀損に基づく不法行為責任はない。

1  原告は、有名百貨店として一般消費者の信用を集め、その信用を基礎としてその業務を行つているのであるから、そこで販売している商品である古美術、茶道具の真贋や、原告の経営態度は、公共の関心事である。

2  本件記事等は、公共の関心事である百貨店の販売する茶杓の真贋について、一般読者の正当な関心に応えるものとして被告の取材結果を報道したものであるから、公益を図る目的に出たものということができる。

3  (一) 本件記事等は、原告が開催した第一八回及び第二〇回「茶美の会」にそれぞれ出品、展示された「不昧公茶杓」のいずれか一方が松平不昧の作でない蓋然性が極めて高いという事実を報道し、併せて原告の営業態度に論評を加えたものであつて、本件記事等で摘示した事実は、すべて真実である。

(二) 仮に、本件記事等の摘示した事実が真実でないとしても、被告は、次のとおり、客観的に可能とされる取材を尽くした上でこれを真実と信じて報道したのであるから、本件記事等の摘示した事実を真実と信じるに足りる相当の理由がある。

(1) 平成二年五月二二日、被告「週刊文春」編集長あてに一通の匿名の投書が送られてきた(以下「本件投書」という。)。本件投書には、原告美術部が主催する第二〇回「茶美の会」に松平不昧作の茶杓が出品されるが、同じく松平不昧が朽木竜橋に贈つたとされる同じ銘の別個の茶杓が、ほぼ同文の手紙と共に、二年前の第一八回「茶美の会」にも出品されていた事実が摘示され、どちらか一方又は双方の茶杓が贋物ではないかとの疑問が呈示されており、併せて原告の担当課長とのやりとりと、原告の経営姿勢に対する批判が指摘されていた。「週刊文春」編集部では、投書の内容が具体的で説得力があり、茶杓の出品者や原告の内部事情に詳しい人が内部告発のために書いた可能性があること、原告が以前にも「ペルシャ秘宝事件」で贋物を展示して世間の批判を浴びており、投書の内容が真実であれば、記事として取り上げる価値があるとして、本件記事の取材チーム(以下「被告取材チーム」という。)を結成して、「茶美の会」出品の茶杓の真贋につき取材をすることとした。

(2) 被告取材チームは、平成二年五月二四日、青山玉鳳堂において、第一八回と第二〇回の「茶美の会」のカクログを入手したところ、投書の指摘したとおり同じ銘の茶杓が載つており、投書の内容が虚偽とはいえないことが確認された。

(3) 被告取材チームは、本件記事を作成するに当たり、社内の文献資料、名鑑を調査して、竹芸家であり茶杓の最高権威者である池田瓢阿(本名池田英之助)、茶杓研究の第一人者である東京教育大学名誉教授の西山松之助及び美術評論家の白崎秀雄に取材を申し込むこととした。白崎秀雄には取材を断られたが、池田瓢阿及び西山松之助には直接取材した。また、松平不昧ゆかりの松江市で同人の研究資料を保管している松江市郷土資料館、京都府福知山市に在住する朽木竜橋の子孫朽木彰や郷土史家の根本惟明にも取材したほか、第一八回「茶美の会」に松平不昧作の茶杓を出品した古美術商の株式会社池内美術(以下「池内美術」という。)の代表取締役の池内克哉、第二〇回「茶美の会」に同様の茶杓を出品した古美術商の飯田好日堂の当主飯田国宏にも取材を行い、原告に対しても取材をした。

他方、被告取材チームは、第一八回及び第二〇回「茶美の会」出品の各茶杓に本物であることを確証する趣旨で箱書をした小堀宗慶に対して取材しなかつたが、同人が大名家の茶道具に関して最高の権威者であるかどうか疑問であるし、自分の箱書の信用性が疑われるような記事の取材に対して客観的な見解を述べることが期待できないことを考慮すれば、重要な取材を怠つたものとはいえない。

(4) 被告取材チームは、以上の取材により、次のような情報を得た。

(ア) 池田瓢阿の取材からは、茶杓の贋作が多いこと、松平不昧の字は癖があるので真似しやすいこと、松平不昧の別邸が存在した「大崎」という地名が手紙中に出てくるところが贋作らしいこと、勉強のための模作もあること、茶道具の世界では真贋が究め尽くし難いこと、書き物や来歴を見ないと真贋が判断しにくいこと、両方とも贋物の可能性もあることなどの情報を得た。池田瓢阿は、取材に先立ち、自分が被告の取材に応じたことが明かされると、商売の邪魔になり業者に恨まれるので、匿名にしてほしいと断つた上で、茶道具に詳しい同人の子息との間で、両方の茶杓のうち一方について贋物の可能性が極めて高い旨の話をし、前記投書の指摘する疑惑を否定しなかつた。

(イ) 西山松之助からは、手紙は同じ内容なのでどちらかが贋物であること、茶杓は実物を見なければ判定できないが、どちらかといえば第二〇回出品の方が本物に近いこと、一方は筒が本物で、他方は茶杓と手紙が本物であるという場合も考えられ、一方が全部本物で一方が全部贋物とはいかない、茶杓には贋物が多く、全国に約二〇〇本ある利休作の茶杓のうち、本物はせいぜい三〇本程度と思われるなどの情報を得た。結局、西山松之助も、両方の茶杓に関する贋作の疑惑を肯定し、これらの茶杓がすべて本物であるとは話さなかつた。

(ウ) このほか、松江市郷土資料館への電話取材により、同一の銘を同一の人物に贈る例は聞いたことがない、松江市にある松平不昧の資料を見る限り、朽木竜橋に二度茶杓を贈つたという資料はない、大名の手作りの茶杓では贋物を作りやすい、松平不昧が晩年のわずかな時期に二度同じ文面の手紙を書くのも納得しにくいなどの情報を得た。また、根本惟明にも電話取材を行い、同一銘の茶杓を同一人物に贈つた話は聞いたことがなく、朽木竜橋にそれが贈られたという資料も読んだことがない、文人同士での付き合いで同一文面の手紙があるのは不自然であるなどの情報を得た。朽木彰からも、松平不昧の茶杓のことは知らないと言われた。

(エ) 被告取材チームが池内克哉及び飯田国宏から取材した結果は、本件記事記載のとおりであつたが、結局二本の茶杓の真贋に関する疑問は解消されなかつた。また、原告からの取材内容も、本件記事記載のとおりであつて、原告の対応は、二本の茶杓のいずれかが贋作であるという疑念をつのらせる結果となつた。

(オ) 被告取材チームは、これらの取材と並行して、茶杓、茶道具に関する多くの文献を丹念に調査、読破した結果、原告の販売した松平不昧作の二本の茶杓のいずれか一方は贋作である蓋然性が極めて高いと判断した。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1及び2の事実は知らない。

2  抗弁3について

(一) 抗弁3(一)記載の事実は否認する。

被告は、大見出しで「第二のニセ秘宝事件」「三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋」「茶道界騒然!」と表現し、本件記事中でも「それについても老舗に反省がないのはなぜだ!」「結論は、この二つの茶杓は別のものであり、どららかが、贋物である」などと記述しており、これらの記述からみれば、本件記事等は、被告が「茶美の会」に出品された二本の松平不昧作の茶杓のいずれかが贋作であると決めつけた上で、原告の経営姿勢等を非難したものである。しかし、「茶美の会」に出品された二本の茶杓は、その来歴や、小堀宗慶ら茶道具鑑定の第一人者が箱書をし、本物であると評価したことからみて、本物であるから、本件記事等の内容は、真実ではない。

(二) 同(二)について

被告が本件記事等の摘示事実を真実と信じるに足りる相当の理由を有しているとの主張は争う。被告は、その取材先、取材方法、取材結果の評価のいずれにおいても著しく不当で偏見に満ちた取材に基づき、いずれかの茶杓が贋作であると軽率に判断して、本件記事等を書いたものである。

(1) 同(1)記載の事実は否認する。被告がその存在を主張する「投書」は、被告がその原本も封筒も廃棄したとしていること、本件記事の極めて多くの部分が「投書」を引用していること、投書の日付と内容との間に矛盾があることなどから、「投書」があつたこと自体に疑問があり、被告が主張している「投書」は、被告において本件記事作成後に作成したものと推認される。

(2) 同(2)の記載の事実は知らない。

(3) 同(3)の記載の事実のうち、被告が各取材先に取材をしたこと、小堀宗慶に取材をしなかつたことは認める。被告の取材先の選択及び取材方法は、次のとおり、極めて杜撰であつた。

(ア) 本件記事等は茶道具に関するもので、茶杓や手紙のやりとりも江戸でされたのであるから、松江市の資料館や福知山市の郷土史家、茶道と無関係な朽木竜橋の子孫に対する取材は、的外れである。

(イ) また、池田瓢阿、西山松之助両氏への取材も、図録の複写を示して取材したものであり、このような方法により、実物を見ても容易でない茶杓の真贋の判断を求めることは不適当である。

(ウ) さらに、被告は、原告に対する取材として、投書者と原告美術部のH(服部智三郎)課長とのやりとりを本件記事に記載する以上、同人を取材すべきであるのに、これを怠つたほか、原告に対して実際に行つた取材も、松平不昧作の茶杓が出展される前の時点で、予告もなく閉店直前に原告を訪ね、作業中の吉田荘太郎部長(以下「吉田部長」という。)に対してわずか一、二分の立ち話をしただけであり、極めて不適切であり、原告の意見、弁解などもともと聞く意思がなかつたものといえる。

(エ) 被告としては、遠州流の家元で、茶道具鑑定の第一人者であり、二本の茶杓の双方に箱書をした小堀宗慶を取材することが最も重要であり、現に西山松之助から取材を勧められ、池内克哉からも話を聞いていたにもかかわらず、取材をしなかつた。

(4) 同(4)記載の事実は否認する。

被告は、取材先からの取材内容及び結果を、意図的に歪曲した。

(ア) 池田瓢阿は、被告の取材に対しても、茶杓の真贋を究め尽くすのは困難で、本物を見ないと判断できず、「茶美の会」に出品された松平不昧作の茶杓はいずれも本物と考えられ、少なくとも第一八回出品の品は本物に間違いない、同じ銘の茶杓が同一人に贈られることもないではないと述べている。

(イ) 西山松之助は、被告の取材に対して、写真では分からないとしながら、茶杓及び手紙は第一八回出品の作が、筒と外箱は第二〇回出品の作が真正であるとしている。しかし、同人の説明には不統一な部分があり、池田瓢阿らが西山松之助に鑑定能力がないとしていることなどにかんがみれば、同人の説明は信用できないものであり、当時斟酌するにつき十分な注意を払う必要があつたものといい得る。

(ロ) さらに、池内美術及び飯田好日堂への取材からも、同一人が作つた同一銘の茶杓が複数あつてもおかしくないし、同じような手紙が二つあることについても問題はない、小堀宗慶の箱書がある以上、双方とも間違いなく本物であるとの情報を得ており、これらの古美術商が皆一流であることから、被告は、その説明に十分注意を払い、内容を吟味すべきものであつた。

(エ) しかし、被告は、池内美術及び飯田好日堂に対する以上の取材内容を無視し、また、池田瓢阿、西山松之助とも、写真では分らないと断つており、指摘した疑問も相互に異なる上、原告が取材したという書跡鑑定家が双方の手紙とも贋物であるとのさらに異なつた指摘をしているのに、「茶美の会」に出品された茶杓の少なくとも一方が贋作であると断定している。被告のこのような取材結果の評価は著しく不当であり、予定どおりの結論を作り上げるために取材結果を無理やり自己に都合よく援用したにすぎない。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因について

1  請求原因1から3までの事実は、当事者間に争いがない。

そこで、本件記事等が原告の信用及び名誉を毀損するものであるかどうかについて判断する。

2  まず、本件記事等の内容について検討する。

本件記事の見出しは、「スクープ 第二のニセ秘宝事件」との記載の傍らに、大きな文字で、「三越が六〇〇万円で売る「茶杓」の真贋」との記載がされている。次いで、記事本文においては、まず被告に郵送されてきたという投書の内容が紹介され、その引用として、原告の本店で開かれている茶道具等の展示販売会「茶美の会」に出品されている茶杓について、一昨年の「茶美の会」でも同じ銘で同じような内容の手紙のついた茶杓が出品されていた事実が述べられ、「結論は、この二つの茶杓は別の物であり、どちらかが贋作である」と記載されている。しかし、これに続く記事は、投書の結論を直ちに肯定せず、その真贋を検証する形で論旨を進めており、二本の茶杓について専門家等からの取材結果を記載し、茶杓の真贋について、「“疑惑”を認めた」、「“疑惑”は深まる」、「“疑惑”だらけの名品ではある」といつた、強い疑惑が存在するという内容の記述をした上、こうした疑惑に対する原告の対応を記載し、誠意がなく無責任である旨指摘している。そして、最終的には、茶道具の世界には贋作が多数ある、という内容で記事が締めくくられており、二本の茶杓のいずれかが贋物であるという断定的な結論を示している記載はない。したがつて、一般的な読者が本件記事を読んだ場合に理解するところの本件記事の内容は、原告で開催された「茶美の会」に出品された二本の松平不昧作の茶杓のうち、いずれかが贋作ではないかという強い疑惑があるということ及びこうした疑惑に対する原告の姿勢は問題があることであるというべきである。

また、本件記事の広告は、本件記事の見出しとほぼ同一であり、茶杓の真贋に強い疑惑があることをうかがわせるものというべきである。

これに対して、原告は、本件記事等において、「茶美の会」に展示販売された茶杓は贋作であり、これを販売する原告の営業態度に非がある旨が表現されていると主張している。確かに、本件記事には、「スクープ 第二のニセ秘宝事件」「「なぜだ!?」でおなじみのあの三越事件の発端となつたのが、「ペルシア秘宝展」の贋作問題だつた」「ましてや、三越美術部には“前科”があるのだから」といつた表現が見受けられる。これらの表現は、読者に対し、かつて原告が展示した秘宝に贋作疑惑が発覚した事実を想起させ、原告が展示販売する古美術に再び同様の疑惑が生じたのではないかという疑念を与えかねないものであり、贋作の蓋然性をより強く印象付ける効果を有するものというべきであるが、本件記事等には、前記のとおり、贋作であるという断定的な事実指摘がなされてはいないのであり、原告が贋物の商品を高額で販売した事実を摘示したとまで言うことは困難であるといわざるを得ない。

3  以上のとおり、本件記事等は、原告が展示販売する茶杓の真贋に強い疑惑があり、原告の姿勢に問題があることを指摘するものである。そうすると、原告は百貨店を営んでいることから、その商品の選別や営業態度に対する評価は、原告の信用及び名誉に重大な影響を有するところ、本件記事等の内容は、少なくとも原告が展示販売する茶杓の商品価値に対する重大な疑問を提示した上で、原告の営業態度を非難するものであるから、本件記事等が原告の百貨店としての社会的評価を低下させ、その信用及び名誉を毀損する内容であることは明白である。また、本件記事を掲載した「週刊文春」が不特定多数の人々に頒布され、本件記事の広告が不特定多数の人々の目に触れることから、本件記事等により、原告の百貨店としての社会的評価が低下し、その信用及び名誉が毀損されることも明らかというべきである。

二  抗弁について

1  雑誌の掲載記事が人の名誉や信用を毀損する場合でも、その記事が公共の利害に関する事実にかかり、専ら公益を図る目的に出たものであつて、記事により摘示された事実が真実であることが証明されたとき、あるいは、そうでなくとも、掲載者がその事実を真実と信じるについて相当の理由があるときは、違法性又は故意過失を欠くものとして、不法行為は成立しないものと解される(最判昭和四一年六月二三日民集二〇巻一一一八頁参照)。

2  これを本件記事等についてみるに、本件記事等の内容は、著名百貨店を経営する原告が一般公衆に対して展示、販売する商品に関し、その真贋に対する疑問を指摘し、併せて、原告の姿勢に対する問題点を指摘する内容であるから、その摘示する事実は、公共の利害に関する事実であつて、かつ、本件記事等は、専ら公益を図る目的に出たものと認めることができる。

3  そこで、被告において本件記事等の内容が真実であると信じるに足りる相当の理由を有しているかどうか(抗弁3(二))について判断する。

(一) 本件記事等の摘示事実は、前記のとおり、「茶美の会」に出品された二本の松平不昧作の茶杓の少なくとも一方が贋作である蓋然性が極めて高いということ及び原告の姿勢に問題があることであると解されるから、まず、贋作である蓋然性が強いことを真実であると信じるにつき被告が相当の理由を有しているかどうかを判断する。

(二) 被告が右相当の理由を有するか否かを判断するに当たつては、本件記事等の作成に至るまでに、被告が前記事実を真実と信じるのに相当な取材活動を行つたかどうかを検討すべきであるところ、被告の取材活動については、取材の端緒、取材先、取材方法、取材内容、取材の結果及びその評価の諸点において相当性があつたかどうかを判断すべきであるから、以下これらの点について検討することとする。

(三) 取材の発端から記事の作成に至るまでの取材活動の経緯につき、争いのない事実及び証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 平成二年五月二二日ころ、匿名者から被告に対して、原告が同月二九日から原告本店で開催する第二〇回「茶美の会」に、松平不昧作の茶杓が価格六〇〇万円で展示販売されるが、原告が昭和六三年に開催した第一八回「茶美の会」でも、別の松平不昧作の茶杓が価格四〇〇万円で展示販売され、いずれも銘が同じ「陶靖節」であるのみならず、茶杓に添えられた手紙も、いずれも「先だつて話したように国元からすす竹が届いたので茶杓を進上する」という内容であり、単語が四か所異なるだけの酷似した文章であることから、どらかかが贋作であるとする情報が届いた。「週刊文春」編集部は、その情報が具体的で、内部事情に詳しい人によるものと思われることに加え、有名百貨店である原告を対象とすることから、取材を行うこととし、木俣正剛、船山幹雄及び渡辺淳の三名の記者(以下、それぞれ「木俣記者」「船山記者」「渡辺記者」という。)からなる被告取材チームを結成した。

(2) 被告取材チームは、青山玉鳳堂から「茶美の会」の第一八回と第二〇回のカクログを入手して内容を見たところ、被告に寄せられた情報のとおり、同じ銘の茶杓が出品されており、手紙の文面も似ている事実が確認できたので、専門家の意見を聞くことにし、「現代日本人名録」などを参考にして、池田瓢阿、西山松之助、白崎秀雄などの専門家をリストアップした。このうち、美術評論家の白崎秀雄からは、茶道界には贋物が多いので話す気にならないと言われ、取材を断られた。

(3) 船山記者及び渡辺記者は、平成二年五月二五日、竹芸作家で、茶道具の研究家及び鑑定の第一人者とされる池田瓢阿に、問題の茶杓の写真のコピーを示して取材した。池田瓢阿は、「茶美の会」開催前に自分の発言が週刊誌に掲載されては商売の邪魔をしたことになり憎まれるので匿名にしてほしい旨断つて、茶道具に造詣のある息子と共に取材に応じた。池田瓢阿は、写真では真贋がよく分からない、あるいは、松平不昧が同じ銘を付けた茶杓を二本作つて贈つた可能性は全く否定できないとしながらも、茶杓については、一方の景色が悪い、節の高さが違う、一方が他方を写したという趣旨の会話をしつつ、両方とも本物ということもあるかもしれないとも言つたが、手紙について、同じ手紙を二つ書くことが不自然であることから、どちらかが贋物であると言い、同人の息子は、茶杓の「どちらが本物かというのは、ちよつと……」と、贋物であることを前提とした発言をした。このほか、二本の松平不昧作に添えられた手紙の文字は、癖のある真似のしやすい文字であること、手紙の中に松平不昧の別邸の所在地である「大崎」が登場するのも贋物らしいことなどの情報を得た。

(4) 平成二年五月二六日、船山記者及び渡辺記者が、茶杓の研究者であり、原告とも親しい立場にある西山松之助東京教育大学名誉教授に対し、約二時間取材した。記者が二揃いの茶杓の写真のコピーを見せたところ、西山松之助は同じ内容の手紙が二つあることはおかしいと言い、また、茶杓、筒、箱、手紙の一部のみが贋物である可能性もあり、結局、二揃いの茶杓とも、本物と贋物が入り交じつているのではないかと結論した。ただし、茶杓そのものについては、写真を見ないとどちらが本物か判断できないとした。また、遠州流の家元であり、茶杓鑑定の最高権威者とされる小堀宗慶が、二本の茶杓に本物であることを証明する箱書をしたことについては、「同じ人が外箱を二つも書いているということは、ちよつと、ぼくには考えられないね。どういうわけで……宗慶先生に、いつぺん、聞いてみたらどうです。……困られるんじやないかな」と言い、小堀宗慶が同様の二本の茶杓に箱書をしたことを疑問視し、同人が回答に困ると思われることを前提にしながらも、二本の茶杓の真贋について質問することを勧めた。

(5) 平成二年五月二七日夕方六時ころ、木俣記者及び船山記者が、あらかじめの連絡なしに原告を訪ねて、原告を取材した。両記者は、「茶美の会」の担当である服部智三郎課長(以下「服部課長」という。)に取材するつもりであつたが、不在のため、「茶美の会」カタログに名前が記載されていた吉田部長を取材することとした。吉田部長は作業中であつたが、立話のまま約五分間取材に応じ、「茶美の会」の美術品については、出品した古美術商が内容に責任を持つことになつているので、飯田好日堂の方へ行つて話を聞いてほしいと話した(証人木俣正剛及び同船山幹雄の証言。なお、これに反する証人吉田荘太郎の証言部分は、採用することができない。)。

(6) 平成二年五月二八日、渡辺記者が、第二〇回「茶美の会」に松平不昧作の茶杓を出品した古美術商の飯田好日堂に対し、約一時間取材した。飯田好日堂の当主飯田国宏は、同様の茶杓が一昨年の「茶美の会」にも出品されていたとは知らなかつたとしながらも、同じ銘の茶杓が複数あることは不思議ではない、酷似する手紙が二通存在することについても、松平不昧の別邸があつた大崎で何度も茶会が開かれており、たまたま違う年度に朽木竜橋が出席できなかつたことは考えられると説明した。

(7) 平成二年五月二八日、船山記者が、第一八回「茶美の会」に松平不昧の茶杓を出品した古美術商の池内美術に対し、約三〇分程度取材をした。代表取締役の池内克哉は、二本の茶杓は手紙や箱が異なるし、銘が同じでもおかしくはない、結局両方本物であるという趣旨の説明をしたほか、茶杓の真贋については、買つた人が贋物であると判断した場合に店が引き取ればいいのであり、買わない人から真贋を問われて答える必要はないという趣旨の話をした。

(8) 被告取材チームは、平成二年五月二八日、西山松之助の勧めに従つて、小堀宗慶を取材しようと、電話で取材の申込みをしたが、留守のため申し込むことができなかつた。その後被告は、箱書は茶道具商が謝礼を払つて依頼すれば書いてもらえるものであるから取材する意味が疑問であること、小堀宗慶が回答に困ることが予想されるのでその配慮をしたこと、取材の主眼が原告の商品チェック機能にあることなどから、小堀宗慶の取材をしないこことした。

(9) そのほか、被告取材チームは、松平不昧ゆかりの松江市にある郷土資料館や朽木竜橋ゆかりの福知山市の郷土史家根本惟明に電話取材し、同一の銘を同一人物に贈る例は聞いたことがないなどの話を聞いた。さらに、被告取材チームは、各種文献を調査したが、「茶杓拾遺集」には松平不昧の同一銘の茶杓が掲載されていないなど、二本の茶杓がいずれも真物であるとする手がかりになる資料は見当らなかつた。

(10) 結局、被告取材チームは、取材の結果として、双方の茶杓が本物であると言つた専門家がいなかつたこと、贋物の多い業界であること、原告から納得のできる説明がなかつたことなどから、少なくとも二本のうち一本は贋作の可能性が極めて高いとの判断に達し、五月二九日の雑誌記事締切前に、本件記事を作成することとした。

(四) 以上の事実を前提として、被告の取材活動が本件記事等の摘示事実を真実と信じるに相当なものであつたかについて検討する。

(1) 取材の発端

証人木俣正剛は、匿名の投書(本件投書)が平成二年五月二二日に被告編集長あてに届けられ、本件投書の中に(三)(1)認定の各事実が指摘されていた旨、本件投書により被告の取材が開始されたのであり、乙第一号証は本件投書を複写したものである旨証言している。

しかし、被告は本件投書を廃棄したと主張していること、本件記事中に本件投書の引用部分とされる部分が極めて多いこと、投書が摘示している匿名者と服部課長との二度目の電話応対がなされた日が不明確であり(証人服部智三郎は、平成二年五月二五日に行われたと証言する。)、本件投書が匿名者から被告に届いた日も不明確であること等の事実を考えると、乙一号証のとおりの投書がなされたかどうかについては疑問がないとはいえない。

しかしながら、被告がそもそも茶道具や「茶美の会」に対して詳細な知識を有していたとは思われず、外部からの情報がなければ取材を開始できなかつたはずであること、証人服部智三郎も、その証言中で本件投書が摘示した服部課長と匿名者との会話の存在を肯定していることなどの事実からみれば、外部の者から被告に本件投書に記載されていたとされる事実が何らかの方法により情報として伝えられたものと推認すべきであり、したがつて、前記認定のとおり、本件投書に記載された情報が被告にもたらされ、これに基づいて被告の取材が開始されたものと認めるべきである。

もとより、このような情報では、記載内容に対する責任の所在が明確にならず、情報提供者への取材もできないから、その取材源としての価値や内容に疑問が残ることは否定できない。しかし、このような情報に基づく取材であつても、その後の裏付け取材により内容が確認できれば、取材活動全体として相当性を欠くものとはいえないから、被告の取材活動の端緒が本件投書にあつたとの一事から直ちに被告の取材活動を不相当とすることはできない。そして、被告の取材活動により、本件投書に記載された情報の裏付けは、前記認定のとおり、一応なされたものといい得るから、取材の発端に問題があつたとはいえない。

(2) 取材先等の選択

被告の取材先のうち、池田瓢阿が茶杓鑑定の第一人者であることは当事者間に争いがなく、また、《証拠略》によれば、西山松之助が茶道具の研究者として高名であることも認められる。もつとも、同人については、《証拠略》では、西山松之助は茶杓の研究者ではあるが、真贋の鑑定はできないとされている。しかし、《証拠略》によれば、池田瓢阿は、茶道具を直接商売道具として扱う立場にない大学教授の西山松之助に対し必ずしも好感情を持つてはいないことがうかがわれ、また、証人池内克哉も、西山松之助の発言により池内美術出品の茶杓の真贋が疑われていることから、同人の鑑識力について客観的な評価を下していると直ちにはいえないから、これらの供述をもつて、西山松之助が取材先として相当でなかつたとすることはできない。さらに、池田瓢阿と西山松之助が、それぞれ異なる立場で茶杓を研究する第一人者であること、白崎秀雄については取材を拒否されたことなどをも考慮すれば、第三者的な立場での専門家として、前記二名のみを取材対象としたことをもつて取材が不十分であつたということはできない。また、松江市の郷土資料館、福知山市の郷土史家への電話取材は、茶杓の真贋の判断という点では茶道具の専門家への取材ほど有効ではないとしても、情報の補強源として必ずしも不相当であるとはいえない。加えて、被告は、本件記事により批判の対象とされ、信用及び名誉を損う立場にある原告や、不利益を被る結果となる各古美術商に対しても、取材を行つている。したがつて、被告の取材先の選択についても、以上の事情を考慮する限りにおいては、不相当な点はないというべきである。

他方、被告は、西山松之助の勧めにもかかわらず、小堀宗慶を取材していないことは前記認定のとおりである。小堀宗慶は、茶杓鑑定の最高権威とされており、かつ、茶杓に箱書をした本人であるから、同人が問題となつている茶杓の真贋に利害関係を持ち、客観的な判断を下し得るか疑問であることや、同様の茶杓二本に箱書をしたことの説明に窮した場合に同人のプライドを損なう可能性があることを考慮しても、被告が小堀宗慶を取材することが望ましいことであつたことは否定できない。しかし、同人を取材しなかつたことにより、被告の取材先の選択が相当でないと判断されるかどうかは、その他の取材により得られた情報を勘案して、これとの相関により決せられる事柄であるから、小堀宗慶への取材をしなかつたとの一事をもつて、直ちに被告の取材が相当でなかつたとまでいうことはできない。したがつて、この点については、被告の取材内容に関する判断を前提にして再度検討することとする。

(3) 取材の方法

(ア) 池田瓢阿や西山松之助に対する取材についは、取材時間や場所等の取材方法について、とくに不相当な点は認められない。

これに対し、原告は、写真のコピー等を示したにすぎない被告の取材が、茶杓の真贋に関する取材として相当でないと主張し、《証拠略》によれば、茶杓の真贋を判定するには、実物を見ないと困難であること、池田瓢阿は取材時にもその旨述べていたことが認められる。しかし、被告が二本の茶杓のいずれかが贋作である疑いが濃厚であるとした主な根拠は、同じ銘の茶杓が同一人物へ贈られ、しかも酷似した内容の手紙が添えられていることであり、これらの事実は実物を見るまでもなく認識できることであるから、実物を見せなかつたからといつて、取材方法が必ずしも相当ではなかつたということはできず、他に、取材方法において不相当であつたとする点を認めることはできない。

(イ) さらに、飯田好日堂及び池内美術に対する取材についても、《証拠略》により認められるとおり、取材時間は比較的長時間に及んでおり、取材方法に不相当な点があつたとは認められない。

(ウ) 原告自身への取材については、前記認定のとおり、あらかじめの連絡なしに、立話で五分程度なされたものである。原告は、右事情に加えて、取材態様が穏便でなかつたこと、原告の広報などを通した公式的見解でないことから、取材方法は不相当であり、被告にはそもそも原告の話を聞く意図はなく、取材の体裁を整えるために形式的に質問をしたにすぎないと主張する。

しかしながら、前記認定事実及び《証拠略》によれば、吉田部長は被告の記者に対しても、自発的にその質問を答えており、多忙のため取材を断つたり、広報を通して取材することを要請してはいないことが認められ、これらの事実によれば、原告に対する取材態様自体が不相当であつたとまでいうことはできない。また、原告への取材時間が他の取材先に比較して短かつたのは事実であり、原告が本件記事により最も重大な影響を受けることを考慮すれば、原告への取材に全く問題がなかつたとはいえないが、《証拠略》により認められる吉田部長と被告記者のやりとりは、「茶美の会」出品の茶杓の真贋について、これ以上原告の関係者に聞いても意味のある反論は期待できないことをうかがわせるものであり、この段階で被告が原告に対する取材を打ち切つたことをもつて、原告への取材が不足であつたと結論付けることはできない。

したがつて、原告への取材方法も、相当性を欠くものとまではいえない。

(4) 取材結果とその評価

(ア) 以上によれば、被告の取材は、その端緒について指摘すべきほどの問題があつたとはいえないし、取材先の選択についても、小堀宗慶を取材しなかつたことは別として、相当というべきであり、さらに、取材態様や方法に関しても、相当性を欠くものとまでいうべき点はない。

そこで、被告の取材結果とその評価について検討する。

(イ) 被告は、池田瓢阿及び西山松之助の意見を重視し、これに郷土資料館への取材結果等を参酌して、少なくとも一方の茶杓は贋物である疑いが強いと結論付けたものと推認される。

池田瓢阿については、少なくとも手紙の一方は贋物であること、茶杓自体にも問題があるとの取材内容であるところ、同人が茶杓の最高権威者であること、同人は、原告と四〇年にわたる付き合いがあるにもかかわらず、被告の取材に対し、商売の邪魔にならないよう、記事では匿名にするよう断つて取材に応じていること、同人の意見は茶道具に造詣のある息子と話合いをしながらなされたものであり、ある程度の客観性も認められること等の事情を考えると、被告が右取材内容を池田瓢阿の直観的かつ率直な意見として評価すべきであるとして重視したことは当然であつたというべきである。

また、西山松之助の取材の結果は真贋が入り交じつているというものであり、同人が茶杓研究の第一人者であること、原告と親しいにもかかわらず、忌憚のない意見を吐露していること、説明は一応合理的であつたことからすれば、池田瓢阿とは異なる立場の専門家による意見として、記事作成の上で重視できるものと認められる。

他方、飯田好日堂及び池内美術の取材結果は、前記認定のとおり、いずれも二本の茶杓がどちらも本物であるという内容であるところ、両者が茶道具に関する一流の業者として、各茶杓を本物と判断して購入し、小堀宗慶に箱書を依頼した以上、専門家の見解として無視することはできない。しかし、両者は「茶美の会」の出品者であり、茶杓の真贋と極めて深い利害関係があることから、その意見を第三者的な立場にある専門家と同程度に客観的な評価とみることはできないこと、両者とも、類似の手紙が二通存在していることについて合理的で説得力をもつた説明をしたとまではいうことはできない。そうすると、被告が、右取材内容を客観的に紹介したにとどめ、必ずしもこれを重視しなかつたことをもつて、被告の評価に偏ぱな点があつたとまではいうことはできない。

そのほか、郷土資料館等の取材結果は、茶杓の真贋について専門家や古美術商同様に重要であるとはいえないものの、茶人である松平不昧が朽木竜橋に同一銘の茶杓を贈ることが疑問であること等の取材結果は、参酌に値するものというべきである。

(ウ) 以上の取材結果によれば、本件茶杓に直接利害関係のない専門家である池田瓢阿及び西山松之助の見解において、少なくとも二通の手紙のどちらか一方が贋物であることについては一致しており、同人らの見解を重視するのは相当であること、池内美術及び飯田好日堂らの見解は池田瓢阿及び西山松之助と同程度に扱うのは相当でなく、かつ、二本の茶杓が両方とも本物であるという合理的な説明がなされたとはいえないことを考慮すると、以上の取材活動から、被告が少なくとも手紙の一方が贋物である蓋然性が極めて高いと結論付けたことに不合理な点があつたということはできない。

また、茶杓自体については、添えられた手紙が贋物の場合に、直ちに茶杓自体も贋物とはいえないものの、本来手紙は茶杓と一揃いで茶杓の由来を伝えるものであること、同一人に同一銘の茶杓を贈つた例は証拠からも認められず、被告が取材を続行してもこのような例が発見されなかつた可能性が高いこと、被告が取材した限りで茶杓が両方とも本物であると結論付けた第三者的な専門家がいなかつたことなどから、被告が取材内容及び一般常識に従つて、茶杓についても少なくとも一方は贋物である疑いが濃厚であると結論付けることは、無理からぬことというべきである。

もつとも、前述のとおり、被告が小堀宗慶を取材していない点については、取材の相当性を判断する上で問題とされなければならない。しかし、小堀宗慶以外の者についての取材内容及び評価が右のとおりであることに加えて、前記認定のとおり、小堀宗慶への取材を勧めた西山松之助は、少なくとも一方の茶杓は贋物であるとかなり断定的に結論付けた上で、二本の茶杓とも本物であることの合理的説明を期待して取材を勧めたというより、むしろ小堀宗慶が説明に窮することを予想した上で、贋作であることの確認の趣旨も含めて勧めたものというべきであり、茶道具鑑定の第一人者と目される池田瓢阿も、茶杓が両方とも本物であるとまでは言わなかつたこと、小堀宗慶が箱書をした者として茶杓の真贋に利害関係を有することをも合わせ考えれば、被告が小堀宗慶に対し取材することが望ましかつたとしても、同人を取材しなかつた一事より、被告の取材が本件記事等の摘示事実を真実と信じるにつき相当性を欠くことになるとまでいうことはできないというべきである。

以上によれば、被告の取材活動は、茶杓の少なくとも一方が贋物である疑いが極めて強いと結論付けるのに不十分な点はなかつたものというべきであるから、被告がこのことを真実であると信じたことについて、相当の理由があつたものと認められる。

4  また、本件記事においては、原告が茶杓の真贋について自ら調べようとせず、出品者である古美術商が責任を負うものであるとしたという事実が摘示されており、このような事実に基づいて、原告の経営姿勢が不誠実であるという趣旨の論評が加えられている。

この点につき、《証拠略》によれば、原告の吉田部長と被告記者との間で、本件記事で摘示したとおりの会話が実際に行われたことが認められる。また、本件記事から明らかなように、右取材が、匿名者の指摘した茶杓の真贋に関する服部課長、ひいては原告の回答を確認するために行われたものであり、吉田部長が被告取材チームに対して、服部課長の回答と同趣旨の発言を行つたことからすれば、服部課長の匿名者に対する回答が本件記事の摘示どおりであると被告が信じたことは、相当であつたというべきである。

そして、少なくとも茶杓の一方は贋物である蓋然性が極めて高いという結論を前提とすれば、被告がこのような原告の贋作疑惑に対する回答について、原告の営業態度に誠意がないと論評したとしても、これをもつて不当であるとまでいうことはできない。

三  結論

本件記事等は、百貨店を営む原告が展示販売する商品について、その価値に重大な疑問を提起するものである。百貨店は、その販売する商品について、贋物である疑いが濃厚であるという情報を広く流布されることより、その社会的評価や信用を著しく毀損され、場合によつては莫大な経済的損失をも被りかねないのであるから、このような事項に関する記事を掲載するについては、公共の利害に関する事項につき、公益を図る目的で掲載する場合といえども、記事の対象となる者の名誉や信用の保護との調和という観点から、出版社において、慎重かつ綿密な取材を行い、相当の確信を得た上で、かかる取材内容に立脚しなければならないことはいうまでもない。

このような観点から本件記事等をみた場合、被告が取材の端緒として本件記事中に引用したとおりの本件投書が存在するかどうかはやや疑問が残るほか、茶道具について明るいとはいえないと思われる朽木竜橋の子孫の発言や、短い取材時間内における原告美術部の部長の断片的な発言を取り上げて中見出しにするなど、必ずしも適切とはいえない表現も見受けられ、見出しや記事の中に、原告の名誉や信用への配慮に欠けた表現もないとはいえない。しかしながら、原告の名誉との関連で最も問題となり、かつ、本件において原告から名誉毀損の具体的な内容として指摘されている本件記事等の摘示事実自体に関しては、小堀宗慶を取材したり、原告への取材に十分な時間をとるなどのより望ましい取材方法があつたにせよ、被告においてこれを真実と信ずるについて、相当性が認められるものというべきであり、これに立脚した本件記事等の論評にわたる部分も、不当であるとまではいえない。

したがつて、本件記事等の摘示事実を真実と信じるにつき相当の理由があるという被告の抗弁は理由があるものということができるから、本件記事等の摘示事実が真実であるかどうかについて判断するまでもなく、被告には原告の名誉及び信用を毀損したことによる不法行為が成立しないことになる。

よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 秋山寿延 裁判官 中西 茂)

裁判官森英明は、外国留学のため、署名押印することができない。

(裁判長裁判官 秋山寿延)

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